行 住 坐 臥( ぎょうじゅうざが) |
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「 たゆみなくお題目を唱えなさい。災難を脱れることもできます。自分の働きが都合よくなり、幸福を招く基となります、行住坐臥と言って、仕事をしている時でも、道を歩く時でも、寝ている時でも唱えましょう 」 と教えて下さいます。よい考えをする時、よい考えの浮かぶようにする時は、お題目を唱えると大変よいと思います。お題目を唱えていると、邪念が消えてよい心持ちとなります。身体の痛い時、苦しい時唱えると、きっと身体が楽になりのす。 悲しい時、苦しい時には理屈なしに唱えましょう。また、人にも唱えてあげましょう。 日蓮聖人が土籠の日朗さまに送られた土籠御書には、「 法華経を余人の読み候は、口ばかり言葉ばかりは読めども心に読まず。心に読めども身に読まず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候え 」 とあります。 「 南無妙法蓮華経と口に唱えることは大切なことであるが、続いて他人には、仏の行ないをするように教え導く実行をしていくことが肝要である 」 と教えられています。 人を仏に導くその基は、口にお題目を唱えることである と理解して、お題目を唱えることが大切です。 「 色心二法 」 とは、心と身体に行なうことです。 法華経神力品第二十一には、 「 所在の国土に、若しは受持・読・誦・解脱・書写し、説の如く修行することあらば、若しは経巻所住の処、若しは園の中に於ても、若しは林の中に於ても、若しは樹の下に於ても、若しは僧房に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし、所以は何ん。当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て、般涅槃したもう 」 とあります。 例えば 「 お百姓さんが畑の仕事をしている時、お題目を唱えながら耕作をなさるとすると。畑を一回耕作するのに百扁お題目を唱えるとして、十回耕作すれば千扁のお題目が唱えられます。これを 『 亡くなられたご先祖さまに回向します 』 と拝んで耕作すると良いことになります。 」 そして、「 『 是の処は即ち道場なり 』 とありますのは、そこがどこであっても 『 亡き父母 』 の供養をする道場である、ということです。この話は 『 諸仏此に於て法輪を転じ 』 ということです。そこで、ここに説かれているように 『 諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得 』 で、耕作をしているその畑が、功徳を積む修行の道場であるということがわかります。この道場というのは、毎日生活をしている所のことですから、どこのどんな場所でも 『 塔 』と申して、人が仏に成る教えを説く場所とし、極楽を作る根拠地として、人々の働きをほめ、好む物を与え、仏に成る教えを教えて世の中の人々に供養することが大切である、ということです。 」 お経は読めばいいと言うことではなく、 「 色身二法 」 とあるように、毎日の生活に大切なことを教えているということを理解し、実践していくことが大切であり、唱えることが基になっています。本当の意味が解るまで、心にかけて 南無妙法蓮華経 と唱えましょう。 |