困 っ た 人 |
| 島村洋子様 |
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父は いらち であった。本当に いらち ≠ナあった。 あんないらいらした人、今まで他に見たことない。 なとどと書くと、きっと知的な痩せた感じの人が青筋立てて、いらいらしている、という絵を想像なさる方もあるだろうが、全然ちがう。 太ったダンプのような体で真っ赤になって、目だけぎょろぎょろさせていらいらするのです。 目的地に向かうときでも、何でかしらいらいらしていて、「 あの人は電車の中でも走っている 」という評判がたっていたりした。 ものをたずねて返事をしなかったらもう大変である。だから私は何かをきかれたら、とにかく即答するこどもだった。いらいらされると困るから。 いらいらして怒った父親がちゃぶ台をひっくり返す、というのをテレビで見たり、聞いたり、あるいは本で読んだりしたけれど、うちの父親はそんな度胸のある人ではなかった。 いや、それは度胸の問題ではないかも知れない。 結局、食べ物をひっくり返せるほど余裕のある時代の人ではなかったのだと思う。 食べ物をひっくり返すどころか、台所仕事の大好きな人で、かごを持って、娘を背中に背負い、市場で買い物をするのなんか平気だったのである。 そして道で挨拶する人に、「 ええ、もう、わしゃ、養子ですさかい 」 などと、しゃあしゃあ、言い、その実、養子どころかちゃんと嫁とりした長男であった。 彼は自分が虐げられた状況にある、というのを好んで演技して他人に見せ、家の中できいきい言うのが好きだった。 年末などは母が理髪店をしていて、ものすごく忙しかったので、私は店に落ちた無数の髪の毛を掃き、父は市場に行ったあと、台所でそばなんか作っていた。 そばも買って来たやつなんかじゃないよ。蕎麦粉から作り、私はそれをふみふみして粘り気を出し、後で機械に入れてハンドルを廻し、製麺するのだ。 ( それにしてもあの機械はどうやって手に入れたのだろう ) 「 お母さんは忙しいんやから、手伝いをせにゃいかんぞ 」 と、とことん言い聞かされ、何だか私も一人前に、しっかりしようなどと、健気な心をしたりしていた。 そして元旦には父は、ふつうに出勤していく。 ( 警察官だった ) ドラマに出て来るお父さんは無口で我慢強い。なんとなく背中で泣いたりして、かっこいい。 しかしうちの父親は、家族に、 「 頼むから静かにしてよ 」 と言われるくらい、おしゃべりでやかましかったのである。 そして何か我慢しなくてはならないことがあると、それを大袈裟にあちこちに言ってまわる人だった。 押すだけでお湯が出る、というジャーポットが発売されたのは、忘れもしない私が小学校二年生だった。そのときはまだエアー式というのはなくて、乾電池を入れる方式のものだった。 ある日、父は私を連れてそれを知り合いり店に買いに行くと言う。何のことかわからないままついて行くと、またしゃべっている。 「 母親が働いてまっしゃろ?これがあったら、こどもだけでもインスタント・ラーメンくらいは食べられると思いまして・・・・・・・・ 」 何のことはない、忙しく働いてはいたれけど、三度、三度、暇を見つけてはごはんのしたくをしてくれていたのでラーメンなんか食べることはなかったのだ。 「 便利な道具で済むことやったら、どんなにお金を出しても買ってやって、こどもに負担をかけんときたいと思いますわ 」 何のことはない、ジャーポツトは彼のお酒のお燗の便利な道具にはなりこそすれ、私のラーメン作りの役になんか立たなかったのである。 そんな父が死んで三年になる。毎日、お芝居のように、まんがのように、本当に楽しかった。 |