私たちには冠婚葬祭などで人に贈り物をする習慣があります。いくら相手に喜んでもらっても、こちらが損し犠牲になったと思ったのでは面白くないでしょう。逆に相手に喜んでもらえず、捨て去られるなら、こちらの好意も贈り物も台無しです。 たしかに、与えるよりも貰うほうが一見よさそうです。しかし与えたくても何も持ち合わせがなければ与えられるはずがなく、モノにせよお金にせよ不足している人にとっては、それが与えられれば嬉しいに違いありません。 こうしたやりとりは、与えたり貰ったりするものではなく、お互いが差し上げたり、戴いたりするという感謝の念を持ってするのでなければ、おそらく喜び合えないことでしょう。 心理学では、こうした状態を 『 自分が嬉しいとき、共に喜んでくれる人が傍らにいると、その喜びは倍加し、自分が悲しいときには、共に悲しんでくれる人が傍らにいると、その悲しみは半減する 』 と説明しています。 では、モノやお金を持ち合わせていない人にとっては、ただ他から戴くばかりで、人に施せるモノが何もないのでしょうか。 そうは思いません。 たとえば、人に親切にし、同情するとか、ほほえみや優しい眼差しで、なごやかな言葉で話りかけ、相手にゆとりを与え、譲り合う、といった心や態度で接することで出来れば、それ自体が立派な施しになると思います。 これを仏教では 『 無財の七施 』 と説いています。
片柳ゆきちゃん (小学校一年生) おじいちゃんと おふろにはいった わたしはじいちゃんの あたまをあらってあげた 「 ああ きもちがいい かわいいまごだね 」 「 まごってなあに 」 「 たからものだよ 」 じいちゃんはいった うれしかったな |