無  財  の  七  施



私たちには冠婚葬祭などで人に贈り物をする習慣があります。いくら相手に喜んでもらっても、こちらが損し犠牲になったと思ったのでは面白くないでしょう。逆に相手に喜んでもらえず、捨て去られるなら、こちらの好意も贈り物も台無しです。
たしかに、与えるよりも貰うほうが一見よさそうです。しかし与えたくても何も持ち合わせがなければ与えられるはずがなく、モノにせよお金にせよ不足している人にとっては、それが与えられれば嬉しいに違いありません。

こうしたやりとりは、与えたり貰ったりするものではなく、お互いが差し上げたり、戴いたりするという感謝の念を持ってするのでなければ、おそらく喜び合えないことでしょう。
心理学では、こうした状態を 『 自分が嬉しいとき、共に喜んでくれる人が傍らにいると、その喜びは倍加し、自分が悲しいときには、共に悲しんでくれる人が傍らにいると、その悲しみは半減する 』 と説明しています。

では、モノやお金を持ち合わせていない人にとっては、ただ他から戴くばかりで、人に施せるモノが何もないのでしょうか。

そうは思いません。

たとえば、人に親切にし、同情するとか、ほほえみや優しい眼差しで、なごやかな言葉で話りかけ、相手にゆとりを与え、譲り合う、といった心や態度で接することで出来れば、それ自体が立派な施しになると思います。

これを仏教では 『 無財の七施 』 と説いています。



眼施 目での施しです。目は口ほどにものを言います。顔は笑 っていても目つきがけわしいと、人は安心できません。優しい目で接してゆくひとは大きな施しであります。

和顔悦色施 ニコニコした顔です。つっけんどんではない、ということです。ニコニコした人のそばにいて腹の立つことはありません。まわりの人々の気分を良くしますから、施しとなります。

言辞施 言葉の施しです。おはようございます・ごくろうさま・ありがとうございます≠ニいったごく普通の言葉でも、言われた方は気持ちがいいものです。相手が言ったら自分も言う≠フではいけません。自分から先に言うから施しとなるのです。

身施 体の施しです。多くの信者さんたちが、お寺の行事の際にはお手伝いをいただいております。また、神戸の震災の時は多くのボランティアの方々の手助けがありましたように、体を使っての施しです。

心施 心の施しです。これはすべてに共通した徳目です。施しは何であれ、相手をいたわり、思いやる心が大切です。腹の中が煮えくり返っていたら必ず表情に現われますから、目の施しも笑顔の施しもできません。

床座施 座席をゆずることです。ゆずる≠ニいう心からゆくと、いろいろな施しが考えられます。人と人の間では、我を抑えゆずりあう心≠大切にしてゆきたいものでか。

房舎施 宿を貸すことです。最近は交通も便利になり、ホテルもたくさん出来ましたから、この施しは余り必要ないように思いますが、これは貸す心 と考えたいと思います。同じ貸すのでも、イヤイヤするのでは施しとなりません。快く、相手のためになるよう考えてゆくことです。借りるより貸す方が、ずっと気持ちがいいものです。



片柳ゆきちゃん (小学校一年生)

        おじいちゃんと おふろにはいった
        わたしはじいちゃんの あたまをあらってあげた
         「 ああ きもちがいい かわいいまごだね 」
        「 まごってなあに 」
        「 たからものだよ 」
         じいちゃんはいった うれしかったな


メニューにもどる