「気の置けない人 」 という言葉があります。これは本来、「気を遣わずに遠慮しないで何でも話のできる人」 という誉め言葉なのですが、最近では「油断のならない人」 という意味に受けとる人が増えてきました。言葉の意味を知らないと言ってしまえばそれまでですが、今の世の中の人のおかれている環境や人づきあいが苦手であることを考えると、笑ってばかりはいられません。 例えば、若者達が巻き込まれる悪徳商法のひとつに、街角で声をかけて契約を交わす「キャッチセールス」 があります。何か面白いことでもないかなと街角を歩いている若者に「一緒に来ると楽しいよ。友達ができるよ」 と親し気に声をかけ、ディスコの只券をあげるからと言って書類にサインをさせます。一番上の紙には何も書いてなくても、三枚目が英会話の教材を六十万円で購入する契約書になっていたりします。 私が驚くのは、今の若者が、この「友達ができるよ」 という言葉に弱いということです。東京の渋谷の公園通り界隈を歩いている若者達を見ていると、楽しそうに笑ったり肩を組んだりしています。一見明るく屈託なく見えるのですが、実は本当に腹を割ってつきあえる親友は少ないのではないでしょうか。私達が小さかった昭和三十年代には、学校が終わると近くの神社の境内に年齢の違う子供達が集まって遊びました。年長のガキ大将を中心に子供なりのルールがあって、年上の子が年下の子をいじめたりすると「お前は卑怯だ」 と皆に責められました。「卑怯だとは言われたくない」 それだけを思って成長したような気さえします。時には気の合わない奴もいて取っ組み合いの喧嘩もしましたが、子供の喧嘩なんて、そんなに簡単に決着がつくわけではありません。ドロンコになって家に帰る夕暮れの道で「あいつは俺とは考え方は違うけど、なかなか頑固で面白い奴だ」 などと思いながら、翌日にはケロッと仲直りしていたものです。 しかし今は、同じ年齢の子供が学校と塾の間を移動しているだけです。表面上は仲良くしていても、極端に言えば、次の日には偏差値一点を争うライバルになってしまいます。自分の弱味も全てさらけ出してつきあえる親友にはなかなかめぐりあえません。 悪徳セールスマンは、人の心を、まるで心理学者のように知り尽くしています。現在の若者が本当は人づきあいに弱く、友達を求めて淋しがっていることを知っているのです。東京という所は実に奇妙な街です。五万円もする入会金で、男の子には男の子、女の子には女の子を紹介する「友達紹介サークル」 までがビジネスとして成り立ってしまうのです。幼い頃から欲しい物は何でも与えられ、心だけは空しく向こう側からやってくるチャンスを待ち続ける若者達のことを、かって「愛されたい症候群」 と名付けました。自分が何かして欲しいことがあれば相手に対してもしてあげるという、当たり前の人間関係を忘れた、いや喧嘩という人間関係すら築けない程、豊かさに管理されてしまった若者の姿です。 しかしそれは若者だけではありません。孫のように優しくしてくれたからといって、セールスマンの言葉につい絆されてしまうお年寄り達。甘い誘いに惹かれて、「恋人商法」 に巻き込まれてしまう女性達。皆、どこか心が乾いているのです。 肩肘を張り続けなくては生活できない現在にあって、それでも時々ホッと気の許せる人にめぐりあうことがあります。悪徳商法からの連想で、今私が思い出す人は、弁護士の中坊公平さんです。中坊さんに初めて会ったのは昭和六十年、豊田商事の破産管財人として被害者の救済に奔走している時でした。小柄な体から響く大きな大阪弁に、重いテーマのスタジオとは思えない和やかな雰囲気が広がりました。その気さくな人柄に、若手の弁護士さん達の間では「親分」 「ムーミンパパ」といったニックネーム付けられていました。 中坊さんは、正義感溢れる子供がそのまま大人になったような感じで、暴力団の組長と膝詰め談判で資産を取り戻したり、悪徳社員の源泉所得税を還付させるため国税局相手に渡り合ったりしていました。そして二年間の日本弁護士連合会の会長としてともすれば権威の権化のような裁判所を市民に親しみ易い存在に変えるため、「窓ひとつない法廷に一輪のカーネーションを置くことから始めよう」と訴え続けてきました。苦しい時にも笑顔を忘れず、人を和ませる中坊さんの原点は、自分自身の幼い頃の体験にありました。幼い頃、生まれつきの左利をなおすと命も危ないと言われる程の虚弱体質で、入試でもつまずいている中坊さんは、同じ様に弱い立場の人を見ると放っておけず、一貫して消費者保護の活動を続けてきたのです。昭和四十八年の森永ヒ素ミルク中毒の被害者弁護団長としても、「国を責める前にミルクを飲ませた自分を責める母親の姿が忘れられません」と言うように、現場から汲み取った悲しみが、巨悪に対するエネルギーとなっているのです。そして「私などは表の人間ですが、法律ギリギリの所で闘っている本物の弁護士もたくさんいるのです」と、今も謙虚な気持ちを持ち続け ています。 ある年の『日曜インタビュー』で中坊さんのお話を伺いながら、人には開かれた顔と閉じた顔があるのではないかと感じました。普通、苦しく体験があると、身も心も閉じてしまうものですが、中坊さんは逆境をバネに、他人の痛みに共鳴し、それを包むように開かれた顔を持つようになったのです。これは簡単なことではありません。逆に言えば、普段明るく潤滑油のように振舞っている人程、その根っこでは悲しみや淋しさの味を知っていることになります。 私は今、アナウンサーとしてインタビューの仕事をしていますが、入社したばかりの二十年前に先輩から言われた言葉を思い出します。「若いうちは一生懸命言葉の限りを尽くして仕事をするのもいい。でも究極の聞き手というのは、向き合っているだけで相手が心を割って、この人には本気で喋ろうと思ってくれるような顔を持つことだ」 自分が相手にとって「気の置けない人」になれるかどうかは、自分がその相手をどう見ているかによるのではないでしょうか。作家の向田邦子さんのドキュメンタリーを担当した時、そのエッセーの中に、小学生の時に聞いて永く心に留めていたという菊池寛の講演の言葉がありました。「人を批判したり判断する時は、欠点を先に言いなさい。あの人は人は好いがだらしがない、と言うと、だらしがない人ということになってしまう。しかし、だらしがないが好い人だと考えれば楽しくなります」 若くして亡くなった向田さんは、最期までこの言葉を肝に銘じていました。そしてたくさんの友人を作り、今でも慕われています。私も人づきあいで悩む時、自分は相手に気を遣わせるような閉じた顔をしていないだろうかと、そっと顔をのぞいてみるのです。 |