自 分 と う ま く つ き あ い た い


作家 有吉玉青  


そう毎日、楽しいことばかりあるわけではない。煩わしい人間関係もあれば、いやな仕事もある。誤解されたり、失敗したり、何をやってもうまくいかなかったり、そん な中で決してくじけず、常に前向きでいられる人というのはいるのだろうか?

いつも元気で明るくという評判のママのいる店に連れて行ってもらったことがある。
確かに、その人がいるだけで店の中が明るくなるような、そんな人だったが、「たま にですけど、今日はだめだって一日お休みすることがあるんです。しょぼくれてる顔 なんて、お見せしたくありませんから」と言っているのが聞こえた。誰でも、くじける。どんなに元気な人にも、独り落ちこむ夜がある。要は、うまく立 ち直れるかどうかなのだ。このママは「休む」と言っている。友人には、何かに行き詰まったとき、ぱっと旅行に出る人もいる。見知らぬ場所より も、一度行ったことのあるところがいいらしい。そこで特に計画も立てないで、好き なことだけしているのだそうだ。偉大なる気分転換である。そうして、「なーんか、ふっきれちゃった」とか、「今度の方針が決まった!」など と言って、元気に帰ってくる。

また、本当に好きなことがあるというのも強い。
ある友人は、いやなことがあったときには野球をするのだそうである。「野球をして いれば、どんなことも忘れられるんだ」と笑った彼は、中学、高校、大学と野球部で 、いまも社会人の野球のサークルに入っている。どんなに辛いことがあっても、彼の世界はそこだけではないのだ。自分の世界で十二 分に心のリフレッシュメントをはたしたら、また心機一転、日常の世界に戻ってゆけ る。いつあっても溌剌としている彼の秘訣である。
ただ、皆が皆、こんなことが出来るかといったらそうではない。ぱっと旅行に出たり 、思い切って休みをとることはそう簡単に出来るわけではないし、たとえ出来たとし ても、なかなかそんな気になれない人もいよう。好きなことも、見つけるのは簡単なようでいて、これがなかなか難しい。

趣味は、と 聞かれて一応答えられるものはあるけれど、それをしていれば全て忘れるほど好きか といえばわからないものだ。と言う私が、実は気分転換が非常に下手なのである。すればいいのだとわかっていて も、それが出来ない。要するに不器用なのだろう。ひとつのことをあれこれ思い悩む 。こっちがうまくいかなかったら、あっちといった融通がきかないし、そんなことを してみる余裕がない。

たとえば楽しいことを考えてみようとか、よく言われるように世の中はもっと苦労し ている人がいるのだからと思おうとは試みるのだけれど、これも渦中にあるときはう まくゆかない。
思うに、苦悩というのは主観的で、それゆえに絶対的なものなのだろ う。傍から見れば笑止なことでも、当事者にとっては頭と胸とをいっぱいにするほど の大問題なことがある。かくして日々鬱々と、過ごすことになるのだ。

それでもこんな私でも、ひとつあるクスリを持っている。「日ぐすり」というクスリ である。日が経つにつれて癒えてくるものというのは、確かにあるのだ。特効薬では ないけれど、優しくて無理がない。たぶん、その人それぞれに、じぶんに合った立ち直り方があるのだろう。自分をよく 知って、そしてうまく自分とつきあってゆく。私には、この「日ぐすり」がいいよう だ。

いつか絶対に希望の光が見えて来ると信じているあたり、楽天的なのかもしれない。 けれど、落ちこんでいるのにも、体力がいる。同じことを頭の中でまわしていられる のも限度がある。落ちこむところまで落ちこんだら、あとは上がってゆくしかないのだろう。谷底まで 、沼の底まで行きついた感じと言おうか。いつか、小さなことに笑っている自分に気 づく時がある。そんなことをある日、しみじみと友人に話したら、彼女は「底なし沼だったらどうす るの?」と言った。この人が苦境に陥ったとき、どうやって立ち直るのか、私にはわからない。けれども 僭越ながら、この人の間違いを正させていただければ、本当に底のない沼なんて、な い。



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