“道を求めて進んで行くことは苦しい。しかし、道を求める心のないことは、さらに苦しい” 道とは、悟りの方法、本当の幸せになる道です。世の中には、教えも法も聞かずに生きている人もいます。また、聞いても実行することが難しく、とまどいを感じている人もいます。 私はいつも、「慈悲・至誠・堪忍」のお話をしております。理解することは簡単ですが、実行することはなかなか困難です。すぐに自分中心の心が出てきて失敗してしまいます。けれど、それでもまた思い直して始めればいいことです。人間は至らない生き物ですから、何度も何度もやり直していくより仕方ないのかもしれません。 道を求める心のない人は、幸せになる方法を知らない人です。どうしていいか分からないから、何かある度に苦しまなければなりません。波間に浮かぶ小船のようなものです。だから幸せになる方法を知っていることはけっこうなことだと思います。 生・老・病・死の四つの苦しみは誰にでもあります。生まれることによって生じた不満足・老いから逃れなれない苦しみ・病気の悩み、そして人間の死亡率は百パーセントですから、いつか必ず死ぬ時がきます。 最近は、百歳以上の人が三万人以上もおられます。私はとてもそこまで生きられるとは思いませんが、もし生きるとなると大変です。余程、心が出来ていないといい生き方は出来ないと思います。 以前百歳の方にお聞きしましたが、“友達が皆亡くなり、子供も先に他界してしまって、今は孫しか話し相手がいないから寂しい。”とおっしゃっていました。長生きはいいことでありますが、反面思うようにならないこともあります。 泥に足を突っ込んでしまった時、浅ければすぐに抜けますが、深いと大変です。人間の悩みは泥沼みたいなものです。 泥沼に足を取られたら、一生懸命抜け出せるように努力しなければなりません。その一番の方法は「徳を積む」ことです。 道を求めていくことは、言葉を変えて言えば修業することとも言えます。日蓮上人は、人生は修業だとおっしゃいました。修業であれば楽なことはありません。あれこれ気に入らないことはあるけれども、これくらいのことで済んでありがたい、と思っていくといいのかもしれません。五つも六つも悩み事があっては大変ですが、反面何も心配することがないと修業になりません。 徳の飾りは、高価な衣装やアクセサリーを身につけることとは違います。こんなことを言ってはいけませんが、今は美人といわれる人でも、ある程度歳を重ねると誰もが同じようなことになります。大金を投じて美容整形したところで限りがあります。 徳の飾りは、内からにじみ出る美しさです。目が細くても鼻が低くても、何となく感じがよく、そばにいるだけで気分が安らぐという人はいるものです。心の徳によって感じ方が全く違ってきます。色々な形で徳を積み、その徳が内から輝き出るよう、修養に励みたいものだと思います。 徳ができると安心し、ゆったりと、喜んで生きていけると思います。そういう人のそばにいると、こちらも安心できると思います。財産や地位ではない、安らかな雰囲気がかもしだされてくるのです。 以前、こんなことを言ってきた人がいました。ご主人が三人兄弟の長男で、農業をしておられました。三人はとても仲良しでしたが、お父さんが亡くなったので田んぼを三等分にして、それぞれが相続しました。それから後、変なことになってしまったのです。長男が後を継ぐということで、一番お米のとれる石高の高い土地を受け継ぎました。次いで次男、三男と分けたわけですが、一番土地の痩せた三男の土地の脇を道路がはしることになり、一部が市に買い上げられました。残った部分は道路沿いですから一度に価格が上がり、分け合った時と価値が逆転してしまいました。それが争いの種となり、ついに今では顔を見るのも嫌、口も利きたくない、という関係になってしまったのです。“何もない時は仲良くやっていたのに、どうしたらいいのでしょう”と言われましたが、遺産相続でこじれると、関係修復は厄介です。お金も大事ですが、こんなことになるようであればない方がましかもしれません。 お釈迦様の伝記“スッタニパータ”に「牛飼いのダニヤ」のお話があります。その中で、牧場主のダニヤがある時お釈迦様に“私は立派な家に住み、頼もしい家族に囲まれて生活をしております。家畜もたくさん持っていますから、大雨が降っても何の心配もありません。”と言いました。するとお釈迦様は、“私には家もなく、家族もなく、家畜も持っていない。だから大雨が降ってもなんの心配もない。”とお答えになりました。 「財産も何もない方がいい」というのです、そうした方がいいというのではありません。「自分の今ある立場を喜ぶ」というのです。あれがない、これがないというのではなく、今の自分を喜ぶのです。 皆さん多少の不満はあっても、現在はまあまあの生活ができているのではないでしょうか。けっこうなことと思いますが、そこで「ありがたい」と思うことができれば何の問題もないのに、なかなかそうはいきません。時と共にその状態にも慣れ、何か物足りない、つまらないという思いが出てくるのです。周りを見ると気に入らないことや腹の立つことが目につき、なかなか今の立場を喜ぶことができません。 堪忍のお話を聞いて、“ああ、堪忍か。前にも聞いたことがあるから知っているよ。”ではなく、“ああ、そうだ!堪忍は大切なことだから、できることからやっていこう。”と受け止めていくと、必ずいい方向に進めると思います。 心が受け止めようとする姿勢がなければ、どんな話を聞いても意味がないと思います。しかし因縁がピャッと合うと心が受け止めますから、とにかく色々なお話を聞くことは大切です。どこかで人間変わることができるかもしれません。少しでもそういう機会を増やしてもらいたいし、少しでもお役に立てればと思います。 ご精進下さいませ。
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