| お 墓 詣 り |
| お墓詣りの作法 |
| 個人の命日や、年忌法要、お盆、お彼岸などにでかけることが多いが、入学、進学、就職、結婚など人生の節目に報告を兼ねて、お墓詣りするのもよい。本来
、月一回以上はお参りしてほしい。お墓詣りのときに注意しなければならないのは、お供え物は必ずもって帰ることだ。そのままにしておくと、腐ったり、動物や鳥が食い荒らして、汚れの原因になる。 |
| お墓詣りの手順 |
| @ お寺の住職または霊園の管理事務所に挨拶し、必要なものを借りる。 A 手を洗い清め、手桶に水をくんでお墓に向かう。 B 合掌礼拝してから、お墓の掃除をする。落ち葉やゴミを拾い、雑草を抜き、墓石を洗う。 花立ての中のゴミ、香炉の灰も始末する。 C 花立てに生け花を飾り、お供え物を供える。菓子や果物は二つ折りの半紙の上に乗せる。 D 線香をあげる。 E 墓石に水をかけるときは、線香を消さないように注意する。 F 合掌礼拝し、数珠をもって一人ずつ手を合わせ、題目を唱える。 G お花以外のお供え物は持ち帰る。 |
| 六種の供養 |
| 六度行と呼ばれている行と深い関連があります。先に「六度行」について簡単に述べておきます。 「布施行」 施しをすることで利欲のない感謝と愛の発露です。 「持戒行」 反省のある生活です。心の眼を開いて仏心に通じ、人間世界の浄化を進めて、 陽明・明朗な生活を送ることです。 「忍辱行」 不撓不屈の力強い精神を修めることです。悲しみや、苦しみの逆境にも負けず、 怒りと焦りとを排して、常に明るい笑顔を持つ事です。 「精進行」 不断の努力と精神によって知徳を研き、人生の円熟を得ることです。 「禅定行」 自己統制のことです。心を一にして雑念、妄想を排し悪に染まることなく心を 清浄に保ち天職を全うすることです 。 「智慧行」 智慧を研き、事物の実相を観照して惑いを滅却し菩提を成就することです。 |
| これらの六度行と六種供養の関連を示します |
| 一、布施行は水 二、持戒行は塗香 三、忍辱行は花 四、精進行は焼香 五、禅定行は飲食 六、智慧行は灯明 以上 のようになります。 |
| 次に「六種供養」について説明します |
| 一、水(閼伽) 水は万物成長の素であって、いっさいのものに平等不変に与えられ、仏尊の大悲大慈の心を表しています。水を墓に供えることは、不浄を洗い流し、清い心を示顕します。 二、塗香 塗香とは、手や身に塗って浄める香のことです。迷いや悪心、俗事のけがれを浄め、心の垢をも被い、誠実な供養をささげる意味です。 三、花 自然に咲く花には微塵の悪意もなく、つねに美しく色とりどりに自然の精として平和と善美の結晶です。美しく咲く花は人の怒る感情を鎮め、心の邪悪を除き、忍耐の美しさを表しています。墓前に花を供えるのは美しい純情の象徴として仏心を培い、仏果を向上させる意味があります。 四、焼香(線香) 香は邪気を払い、心を柔和に導き仏心をたかめます。墓前に焼香をすることは周囲の邪気と俗塵を払い、芳香の漂いを持って浄化し祖先の精霊を清浄にして供養回向をつとめる意味があります。 五、飲食 お供物(お菓子など)を墓前にお供えするのは、食物は人身を豊かにし心の足ることを知って人間成長の要素として不可欠なものであるように、 祖霊を餓鬼道から救い感謝をあらわす意味です。供える時は石塔などに直接供えないで、必ず半紙とか綺麗な木の葉 や蓮の葉などを敷いて、謙虚な心で丁寧にいたしましょう。祖霊はその心を受けるのですから、供えたままにして帰るのは困ります。墓は汚れるし、犬や鳥が集まってきて墓地を荒らしますので必ず始末していただきたい。 六、灯明 墓前に灯明を点ずることは、闇に邪悪を排して光明の実相を照らし、暗黒の淵から祖霊を救い出し仏心を高め、仏菓を得せしめる意味があります。 明(灯明)のありがたさは、一切衆生の無明(三惑の一、邪見・妄執のた めの一切諸法にくらいこと)を照らし、三悪道に堕ちて迷っている祖霊を導き救うことにあり、追善の大切なつとめの一つになります。『賢愚経』にも「長者の万燈より貧者の一燈」と説かれて燈明を心込めて点じる ことは至誠のあらわれとしています。 今日では、“彼岸・お盆”は季節行事になっていて社会生活の中にとけ込んでお り、法要や墓参りが広く行われています。家族が揃って墓に詣り、先祖に感謝すると共に、先祖が生きてきた時代を振り返り未来へ続く生活の糧とするのもよいことです。私たちが習慣的に墓前や、仏壇に供えている水・花・線香・供物 ・燈明などには深い意味がありますから、それぞれに認識して慎重につとめてください。 |
| ●墓参りに持っていくもの |
| ほうき・たわし・雑巾・バケツ・ひしゃく・手桶 マッチ・ロウソク・線香・半紙・数珠 お供え物(花・果物・菓子など) ☆掃除用具などは、お寺や霊園事務所で借りられるところもある。 |
| 心からの供養 |
| ※ 「生かされている自分」に気づくとおのずから先祖に感謝したくなる。 先祖供養のこころはどこから生じるのでしょうか。ご先祖を祠るということは、時代や民族を越えて人間に備わった自然な心だと思い ます。先祖があってこその自分であり、生命の流れはさらに子々孫々に受け継がれていくものだということに気づいたとき「生かされている自分」に感謝の気持ちが出てくるのです。その思いをカタチにしたのが、お仏壇やお墓なのです。 |
| ※ いったん立ち止まって向きを回すというのが「回向」。各々の生き方を考え直す機会にしたいものです。 亡くなった方の成仏を祈る仏事を「回向」といいますが、僧にお経を読んでもらって事足れりと思うのは間違っています。今、私たちの生き方を反省し、「これで いいんだろうか」と見つめ直し、正しい方向に向きを変えること、回転することが「回向」にほかなりません。それこそが、亡くなった方への供養になるのです。 |
| ※ 「意」が「乗って」いてこそ「祈り」。カタチだけのおつとめは「祈り」とはいえません。 供養において心がけるべきことは。おつとめやお祈りが、人目を気にかけたり、慣習的に拝んでいるだけになっていませんか。おつとめするとか供養する、報告する、誓いを立てると言うことが「祈り」ですから、 「意」が「乗って」いなければなりません。「儲かりますように 」とか「幸せになりますように」といった雑念妄念にさえぎられていてはいけま せん。 |
| ※ 「苦労」に押しひしがれることなく。「許せない」を「許す」度量をもって「ふくろう(不苦労)」 「苦労」というのは「苦」を「労(ねぎらう)う」ということです。「辛抱」は「辛さ」を抱えると書きます。これからは自分から主張するのではなく、人の苦 さ辛さを感じとり共感することです。 |
| ※ たとえ一日五分でも自分を振り返る時間を持ちたいもの。 いつの世でも、どのような人にでも当てはまる事でしょうが、時間に追われて仕事に追われ続ける中にあっても、自分自身の一日を振り返る、過去のことや未来のことについて思いをひたす時間を持って生きる生活は豊かです。せちがらい世の中にあってこそ、心静かに自分を振り返る時間がたとえ一日のなかに五分でも、そんな時間を持てばずいぶん違ってくると思います。 |
| ※ 「豊かさ」をモノにだけ求めるのではなく、心豊かさをもっと大切にしたい。 物欲に走るよりも、自分の一生の中に、本当の幸せを見いだすには「己の心を豊かにすること」であり、その時間を持つことが大切ではないでしょうか。 |